ストーリー

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01. 島バナナとの出会い〜知れば知るほどわからない

50年の時を経て——

50年前に石垣島の海岸で初めて島バナナを食べて感動した青年は、50年の時を経て70代となり、島バナナを広めるための活動をする「島バナナ研究会」を作り(2019年)、その後「島バナナ協会」を創立(2022年)しました。

2024年4月3日に法人化(一般社団法人島バナナ協会設立)と同時に島バナナ農園を沖縄県国頭郡国頭村謝敷に開園しました。

折りしも、設立・開園の日は青年の誕生日で、74歳になっていました。


大好きな島バナナのことを、研究して知れば知るほど「酸味と香りがあって美味しい島バナナ」を栽培し続けることや、入手し続けることが、いかに困難かが明らかになるばかりで、青年は年齢的に「自分には時間がない」と考えるようにもなりました。


しかし、青年の「こんなにも美味しい島バナナを、もっと日本の多くの人に食べてもらいたい」という純粋な想いと、「あの感動の味」を絶やさないためにはどうしたらいいかと研究し、専門家を訪ね歩いたりする行動に、共感する仲間が集まり始めました。

青年が住んでいる東京はもちろん、たびたび訪ねていく沖縄にも、「酸味と香りがあって美味しい島バナナ」を作ろう、広めようという仲間が増えていったのです。


青年の名前は、森田正光。

日本初の「お天気キャスター」として気象情報をわかりやすくおもしろく伝えること50年。

島バナナ農園を開園したときには「日本最年長のお天気キャスター」と呼ばれるようになっていました。


その長年のお天気キャスターの仕事の中で、2019年から、島バナナを周囲の仕事関係者にお勧めして語ったり差し上げたり、ということを始めました。

それを始めたのには計画や戦略があったわけではなく、ただ、広めたいだけの行動でしたが、賛同する人や、興味を持って島バナナをほしがる人も増えていきました。

きっかけは「バナナ嫌い」

50年も島バナナの味を忘れられなかった森田でしたが、沖縄に行く機会があったときに現地で探して食べているだけでした。

時を経て時代が進み、東京にいながらインターネットでも購入できるようにもなり、ときどきネット購入もしていましたが、購入できるネットショップは少ない・・・。

その上、東京で小売されている店は数件しかなく、さらに言えば、本当に美味しい島バナナにはなかなか出会えない・・・。

そこで疑問が湧いてきたのです。


ITも物流も発展した日本で、なぜあんなにも美味しいものが、こんなにも流通していないのか。

もっと流通させて、あの感動の味を、もっと多くの人が日常的に体験できるようにすればいいのに、誰もしていない。

なぜだ——。

なんとかならないのか——。


森田はそう考えました。

しかし、なんとかするのは自分、とはまだ考えていませんでした。


そんな頃に、再会した人との会話がきっかけで、「なんとかするのは自分たち」に意識が切り替わったのです。

その人は、昔(1995年)、森田が気象予報士を育てる塾「森田塾」を立ち上げたときの生徒の1人で、弟子のような存在だった人です。

今は広告関係の仕事をしていて、農家・農産物のブランディングで農家の団体を運営したりもしていました。

井上美穂といいます。

のちに、一般社団法人島バナナ協会を森田とともに立ち上げることになった人です。


2019年の夏、旧交を温める目的で、森田と井上が久しぶりに会ったのですが、井上が農家・農産物に関係する仕事をしているからということで森田が「島バナナって知ってる?」となにげなく聞きました。


井上は、
「知らないです。バナナ嫌いなんです」
と言いました。

まったく忖度しない言いように、森田は笑えてしまうと同時に、井上が言う一般的な「バナナ」に対しては「なぜ同じように甘いバナナばかりなんだ」と森田も疑問を感じていたので、
「バナナは嫌いかもしれないど、島バナナは普通のバナナとは違うんだよ。ちょっと食べてみて」
と、それこそ自分が50年前に石垣島の海岸でおばあさんに勧められたときのように、勧めてみました。


後日、島バナナを食べた井上は、あの日の森田と同じように感動して「とても美味しくてバナナの概念が変わりました」と森田に語りました。

「バナナ」を嫌いだったという人でも感動させてしまうのが「島バナナ」だと森田は実感しました。

そして、あんなにも美味しいものがこんなにも流通していないことや、なんとかならないのかと考えていることを井上に話し、一緒に広めよう!ということになったのでした。

島バナナを栽培する農家と繋がる

森田は、島バナナには人を感動させる力があると実感してから、ネット購入した島バナナを仕事関係の周囲の人にどんどん食べてもらうようにしました。

食べてもらいたくて仕方がない、美味しいことを知ってもらいたいという衝動と、それをしていけば広がるのではないかという期待感によるものでした。


そのようにして、森田がお天気キャスターとして仕事しているTBSテレビでは、島バナナを知る人が多くなっていきました。

そのため最初に「島バナナ研究会」として集まったメンバーは、TBSテレビの報道局で仕事をしている人たちでした。

月に1回、島バナナについて知り得たことを、食事しながら楽しく話す会になっていきました。



森田が島バナナを勧めた人の中には、著名な出演者もいて、テレビやラジオの対談でも島バナナの話をするようになっていました。

森田のトークの力もあり、みなさんワクワクして「どこで買えるのか」を森田に聞くのですが、森田は「今は答えられない」ことを答えることしかできませんでした。

あちこちネットで購入しているだけで、確たる購入先があったわけではなく、味も不均一で美味しい時とそうでない時、つまり当たりはずれがあり、本当に島バナナなのかどうかもわからない、ということがわかっていました。

お勧めした購入先がもし、はずれまたは島バナナではないバナナを知人に送ってしまったら、「島バナナはそんなに美味しいものでもない」ということになってしまう——。

それは何としても避けたいと考えた森田は、その時は「今度お持ちします」と伝えることしかできませんでした。

夏が来れば「ここのは本物の島バナナだ、美味しい」と確証が得られる島バナナが手に入るはず・・・

それからお持ちするつもりでした。

そのときはまだ、夏を待てばいいというくらいに考えていたのでした。

島バナナ研究会においては、「ここのは本物の島バナナだ、美味しい」と確証が得られ、購入できる農家を探そう、というのが活動の方向性になっていました。


最初に島バナナを栽培する農家と繋がったのは、井上が運営している農家の団体メンバーの紹介でした。

その人は、沖縄県島尻郡八重瀬町のマンゴーの農家で、島バナナも栽培し始めたという30代の若手農家です。

島バナナ研究会メンバーとのLINEグループで、島バナナ栽培について、いろいろな質疑応答をさせてもらえるようになりました。


収穫した島バナナを購入させてもらえるようにもなり、島バナナ研究会としては、このようにして島バナナを栽培する農家と繋がり、仕入れて販売することで島バナナを世の中に広めていこうという目標を持つに至りました。


本土で島バナナを購入する場合、1房数千円で、房単位で言えば、一般的な大きなバナナの10倍前後の値段である理由も、わかってきました。


島バナナは大量生産の仕組みがないこと、そして沖縄から本土に送るための送料が高額であることにより、結果として1房(6〜8本、約700g)が数千円になる——。

それならば、産業化しながら高く売れるように、ブランド化も必要なのではないかと、島バナナ研究会で話すようになりました。


産業化、ブランド化のためにはまず、「美味しい本物の島バナナ」を安定栽培する必要があります。

そこで、まずは島バナナがどのように栽培されているのか、大切な、初めて繋がった島バナナの栽培農家に一度会って栽培現場を見学させてもらおうということになりました。



島バナナを、知れば知るほどわからなくなっていく中で、第1回目の沖縄視察が決定しました。

つづく・・・・・・